信念ですか
敵側にも正義がある。とかいって本当にみんなが忠実な犬みたいに闘っていたら怖いわけで、ガンダムでのランバラルは部下のため、自分の出世のために戦っていて、現代の尺度であって分かり易い理由だし、利己的であり、そういうところにリアルを感じる。
というか1話の時点からジーンは出世のことを気にしているよね。国のことも考えてやれよ。
その点、83のジオンは狂信的な奴らが多く、そんな中の海兵達は好きだったよ。
だからか、ガルマのジオン公国に栄光あれ!なんてセリフが光るのは。シャアは復讐のため。マクベは壺のため。ララァは救ってくれた人のため。たった・・それだけのために?
それは人の生きるための真理よ。
Zではどうか? ZZではどうか?
ティターンズはそれだけでエリートですごいんだぜ。みたいに戦っていた。バスクの私兵だったよな。連邦軍はよくわからんけど、少なくともヤザンは私利私欲で戦ってるなあ。
アクシズは狭い世界ですから。ほとんどハマーン様。とか言ってますよ。
つまり僕らが求めているのは、敵の戦う理由ではなく、個人の戦う理由なのである。
ザフトのために!とか言って悪の幹部に仕える兵として死んでいっては、ただの小悪党にしか映らないのではないか。
本当に戦うべき相手はだれなのか?じゃなくて、給料もらって戦ってる軍人なんでしょ。
でも実際SEEDはブルーコスモスやらラクス軍やら、私兵の集団がすごい力持っちゃって。そこは思想と思想のぶつかりあいだから見苦しい。そういう意味では戦争を描いてはいたが、軍隊とか個人としての兵士は描いていなかった。
最新作ダブルオーでもマイスターは平和のために従事している。自分のために戦っているのは、ヤザンの位置にあるサーシェスしか思い浮かばん。
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