全肯定?
もしかしたらダブルオーが始まった時にも言ったかもしれない言葉だけど繰り返し形にすることで自分への確認になるはず。
その他のガンダムについて
どの作品にも嫌いなところはあります。
例えば綺麗に完結したガンダムを商業主義の基にだらだらと今まで続けさせる根源となったZガンダム、後から出てきて宇宙世紀に割って入ってきたOVAガンダム。そういうものが生まれた時からあった人にとってはそういうものだと思えるかもしれませんが、これが比較的新しいSEEDなんかになると、これは全員にとって後から入り込んできたものなるので目の敵とされてしまう。けれどもそこから入ってきた人はそれしか知らないわけで、また、その人たちは基盤を知る必要はないわけで、でも強要されてしまう。そして強要する人たちが、後から出てきたものを褒める人、または旧作の良さを知らない人のことを納得できない。または納得させたいがために新作を貶す傾向があるように思えます。SEEDの脚本はそれは酷いものでした。それは認めます。でもそれが好きだっていう人のことはほっといたらいい。旧作より優れていると主張するのならその意見は聞く。なにをいうのか楽しみなので。でも旧作の方が優れていると言い張るのはあまりに押しつけがましい。傲慢すぎる。
それを言って納得するのは自分自身だし。もしかしたら他人の賛同を集めて言い負かそうとしているのかも。意見を言い合うのは結構だけど意固地になるのはカッコ悪いよ。
要は種を好きになるのは悪いことじゃないんだし、若輩者が知った風に旧作を酷評するのでなければ勝手にさせておけばいいんじゃないのか。するのであればそれはそいつの悪行なので作品論とは別の話になります。
ガンダムの括りに入れられるのが許せない
あんなできそこないの作品が同じガンダムの名前を冠しているということに対するわだかまりから作品批判を行う。そういうことも起きています。でもこれはいくら作品叩きをしたとこで、じゃあガンダムやめますともいかないし虚しいだけ。粉雪。これに関しては大人になるしかない。諦めろ。ただ、いいところを一つでも見つけたらそれだけは褒め続ける。そんなスタンスでいいと思う。Gガンダムはネタとして面白いからネタとして楽しむ。アニメにマジになりすぎるな。なまじ神聖なものとして扱うと宗教くさくなって嫌だ。いいところが見つけられなかったら無視するしかないのかな。腹いせの道具にはして欲しくない。
意見に対する反論は当然あるはずだ
あのシーンは最高だ。あんなのはこのシーンの足元にも及ばない。こんなレベルの話は作品語りではない。後から言われたら分かると思う。ただ消費的な文字メディアだと必然的に言葉少なになってしまうからお互いに何の情報交換もできていない。悪意のぶつけ合いでしかない。キチンと説明すれば自分が同意するかは別として納得できるはずなんです。そして説明能力がないのは不幸だなと思います。そういう意味でも新しいものには若いファンが多いのだろうなと感じます。議論するのも馬鹿らしいなら初めから適当なことを言うべきではない。
最後に
人の悪いところばかり探すよりは、いいところに気づける人になりたい。気づけるということはそうなれる可能性があるわけ。誰とは言わないがそういう部分を取り込んで自分を高められる人になってほしい。
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