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January 31, 2010

3DCGを勉強しようと思った

最近はテレビ業界に入るにも3DCGの制作ソフトが使えなきゃいけないところもあるくらいで、映像の道に入ろうと思ったら3DCGを覚えておけば間違いないなと思っています。

私自身3DCGの違和感をずっと感じてきたし人間や生ものだけはいまだにCGモデルのものは見慣れないので、それを克服することを目標にすれば一生それでやっていける気もする。

こっから転載

CGというのは絶対に、触れないわけです。触感も匂いもないわけです。映画というのは、映画的な機能が持っている重要なのは、「触感があるかもしれない、触ったかもしれない、ぞくっとするかもしれない」という体感を感じさせる物語を付け加えられるのが映像の機能なんです。
 そういう映画的な機能を、ただアクション映画、活劇映画ということだけで理解していないか。ハリウッドの大作だけを見て「あれがCGの仕事だよ」と思い過ぎていないか。映画ってそんなチャチなものかということも反問していただきたい。
 客が見たがってるのは何なんだろうかというとき、知った風なモブシーン(群衆が登場するシーン)も、爆発シーンも、人間が飛ばされるようなのも見飽きてるでしょ。見飽きてるのになんでやるの?
 それ以上のことを思いつくクリエイターがいないだけの話です。だからそれをやればいいだけです。だからといって死体ギンギンの映画がいいのか? それが生々しいということではないんですよ。物語ですから。映画ですから。デジタル画像で作る物語というのはどういうものか、改めて自分の中で反問していただきたい。
 そういう反問の中で、10年後か15年後ぐらいにヒットするタイトルなり物語なりを作るのがちょうどいいと思う。こつこつやってると10年ぐらいすぐ。こんな不景気だったら死ぬかもしれない。だが運不運はついて回ります。それは変わりませんから覚悟して下さい。それくらい過酷な職業をみなさん方が選んでしまったんです。

10月27日、「東京コンテンツマーケット2008」

この数年、デジタルの画像を見ながら僕が疑問に思っていることがあります。本当に綺麗なのよね。だけど、綺麗なだけ。そして、画像を加工することができるようになったために、加工がみんな似てる。似たようなモブシーンばかり。あんなもので、気持ちよくなれるのか、と不思議に感じています。「身体性がこびりついた物語」を作るということについて、僕は考えてしまうわけです。実際、CGワークにお金をかけたムービーのほうが、見てて乗れなくなってくる場合が多いということに気がついてください。我々の身体が受けつけるようなお祭り感覚がないから、エンタメになっていないんです。だから、そういうものをいかに作っていくか、ということは、皆さん方の世代に課せられた宿題だと思ってます。
 この2年間で、手描きをCGワークのなかにどう取り込んで、どう加工してものを作るか、という基礎学を学んでほしいのです。その時にいつも憶えておいてほしいことは、今言ったお祭り感覚、身体性がこびりついた“物語”をいかに付加するかということです。

5月 2008 東映アニメーション研究所

線で絵を描くということの意味はあまり大きくないのですが、油絵であれ、絵を描くという作業自体は肉体的なアクションであり、理念といった部分はあくまでも後についてくるものだということです。
中略
ハリウッドでも超大作の実写ほどステロタイプ化しています。アニメーション化しているわけです。スパイダーマンのアクションがかっこいいからといって、身体性を表現しているかというとそうではありません。デジタル技術の問題は技術論ではなくて、身体性という問題をどのように認識して媒体にのせていくかということが大切でそれが抜け落ちているというふうに考えます。

2/7 eAT 2003

道具が便利になったので全体のクオリティーは上がった。
しかしみんなツールが同じなのでアウトプットも似てきている。
一番の問題は それを自分の絵だと思っている。
それはクリエーターではなくオペレターという認識が必要。
絵心がない人がどれだけディテールを上げても 絵にならない。

5/16 2009 method

 去年の初め頃です、俗に言う、CGを最初に始めた第1世代の人たちの中から出てきた言葉がありました。「ついにCGも理工学系の仕事からデザイナーの仕事になっちゃった」というため息混じりの発言です。
 東大の理工学系の先生の発言だと思ってください。それを聞いた時、それまでCGは理工科系の仕事で、基本的に理工科系の人がCG作品を作っていたんだなと思いました。
 そこにデザイナーが入ってきた。だいぶ前からデザイナーのCGを使ってはいたんですが、それが世間に現れるようになったのはここ2~3年なんだなと実感しました。
 ここで言いたいのは、これまでのCGワークはものすごく妙だなと思っていたこと。CGで絵を書くと絵が下手になり、絵になってないんです。
 何か知らないけど、(CGの担当者に)理屈ではごまかされるし、こういう風にオペレーションしなければレンダリングがどうのこうのとわけの分からないことを言われるので、そういうものなんだと思っていました。「CGで作画をする」とは、作画して操作して、表現としてスクリーンに映したり、プリントアウトする行為を指します。確かに絵は描いていて、モニター上で動かしてはいる。
 理科系の仕事だったのか。だからこんなにCGの絵が、はっきり言います、つまらなかったのか、とその時分かりました。
中略
 我々が使わされている道具をコントロールする、使ってみせるということにだけ振り回されていて、本来的な意味で何をしようか、という思考回路が遮断されていたのではないかと思ってください。道具を使うのが面倒くさいばっかりに、使いこなすところまでで気が済んでいたのではないか。

9/2 2009 ゲーム開発者向けイベント「CEDEC」

 「映画とは,かなりロジカルなものだ。なのに文科系の人間に任せすぎているせいで,つまらなくなっている。今ではCGにもデザイナー畑の人間が増えているが,もともとデジタル作画は理科系の人が多かった。CGの現場から,映像作品の性能とはもっとロジカルなものなのだという提案がほしい」
 「見た目だけ綺麗,見た目だけ精密。その羅列は,クソ面白くない。けれど,そういう作品がどうしても増えてしまう。動く絵というものは,面白いはずなのに,もう面白くない!
 「10年前,恐竜がリアルに動くというのは,それだけで珍しかった。だからジュラシック・パークは大ヒットした。でも1・2回見たら,もうそれでイヤになってしまう」
 「なぜなら,そこにドラマがなく,ただ精密なだけだからだ。それでは1回しか見てもらえない。ドラマは,何度でも見る。それがドラマの性能なのだ」
 「動く絵というものは,ドラマを描くのに最適な手法だ。映画や映像というものは,ドラマを作る媒体といってもいい」
 「ただし,そこで感性ではなく,ロジカルに作っていくことが必要になる。そういった場面は,理系のセンスが必要になるだろう」
 「CGを制作する場面において,PCでのワークは,キーボードやマウスにとらわれすぎている。絵を描くといったとき,自分の,人間の手はどのように動くか。あるいは大作を描く絵描きの体はどう動くのか? 人間は全身が動く。全身を使わないと,表現はできない」
 「たくさんの絵を描くというのは,手の仕事ではない。絵は格闘技であり,全身を使うものだ。全身を使えていない人の絵は,それが分かってしまう」
 「そして,その『全身が使えていない絵』かどうかを,分かるようになれ! 今の多くのCGワークは,手先だけでやっているからあの程度になってしまう。『アバター』ではモーションキャプチャがどうしたこうしたいっているが,あんなものは見るに耐えない!」
 「あれが見るに耐えないと感じられないなら,この仕事は辞めちまえ!」

12/21 2009 SIGGRAPH

全部を纏めると
手先で作ったCGは精密なだけでそれを動かしてもオペレイトしてるだけでクリエイトではない。
ツールを使って何をやるかを全身で考えて身体性を媒体に載せ物語を肉体を感じさせるものにする。

物語を利用すればCGモデルでも誤魔化せられる気がしてきた。

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