集団の中でやる自習
更新が週1になった。
ネタというか書きたい主題は溜まってるんだけどな。話を膨らませる努力に至らない。
学校で課題なり自習の作業をするとなると、個室でやる訳ではないのだから周りには人がいる。どうやら自分はそれをプレッシャーに感じているらしい。
もちろん実際に何を言われる訳でもないし画面に注目されるということもないのだけど、例えばモニターが一列の机に対面で置いてある場合なんかは相手の顔が視界に入るけど、これがかなり苦手。
課題の場合でも自習の場合でも自分の習熟度というのは見習いレベルな訳だから、傍から見るとかなりの不手際なり見苦しいものが写っているのだろう。ということを、周りの存在そのものが、人が近くにいると言う情報そのものが私に意識させる。(ウィキペディアに載ってる「完璧主義」に一致)
下手に失敗ができない。実験的なことがやり難い。そんな強迫観念に囚われる。
ならば私は周りの目を気にする人間なのだが、ファッション・着るものには執着しない。同じ服も平気で連日身につけられる。これはもう諦めているから。という見方ができる。
下手におしゃれをしてみせても、自分にできる限界のレベルがある程度の低さだろうと認めている部分があるし、金銭的な問題もある。
そんな自分が中途半端におしゃれを気取っても、かえってみすぼらしくなる危険性には耐えられないのです。そしてそれが周りに限界を見せてしまい、そこまでの人間なのだと思われてしまうのも怖いです。(ウィキペディア「完璧主義」に一致)
だから、はなからファッションのことを意識しないことをバリアにでもして着る服を選ぶしかない。
それをふまえてCGに戻ると(初めの学校の課題ってCGのことね)、まだ諦めていない。自信がある。これは事実です。でもCGの自習となると結構趣味が出るし、ほんとに見せるの嫌だ。家でコツコツやるしかない。(でも家でやると余計なリラクゼーション・レクリエーション・アプリケーションに囚われる)
*別話
3DCGの映像を学校に入ってからは散々見るようになって、簡単に耐性が付きました。映像ってこういうもんだったよね。と自然に言えてしまいそうです。レベルの高い、学習するものの多い映像を見ているというのも一つの要因ですし、古い人間がただ3DCGを見慣れていなかっただけという意見も確かであると納得できます。
で、テレビアニメの3DCGはやっぱり駄目だっていうのは講師の話から考えても判断できることで、受け入れ難いのはレベルが低いからに違いない。
今日自宅で見たアムリという3DCGのアニメはOVA形式のものだけど作品的にも映像的にも受け付けなかった。最近の作品であっても3DCGというのを扱える人は全然揃っていないのが日本のアニメ業界じゃないのかな。
ゲームのデモムービーでいうとACEの新作がこれまたすごい良かった。初代のものとなると結構昔のものだけど、それさえ良い。あの人達は数分の映像に掛けている時間の割合が違うというのは言われんでも分かるけど、あの技術でアニメを制作してくれればと思います。
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