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July 13, 2010

制作する立場からの作品の視聴

専門学校での話
来年の2月に個人または複数人数で映像作品を発表する機会があるということを聞いた。
勝手に作っていい(オリジナル)ということなので、自分でストーリーとコンセプトを決める必要がある。
そういうことは言われるまでも無く10個以上のストックを溜めています。
最終的に幾つかを合体させてもいいし、そうでなければどれか一つを選んでとっとと実制作に取り掛からなければならない。
たぶん登場人物の少ないものや、場面の少ないものを選ぶことになるのかな。
どれも本当に作りたいし、自分のアイデアなので誰より先に主張をしたい。

 

 ところで憤りを感じているのが
有名作品は見ておいた方がいいという話で「エヴァ破」をなんで見てないのかと文句を言われたことです。
エヴァについては簡単に答えられるけど完結してない作品を小出しで見せられるのが個人的に苦痛だからで、TVアニメも何百作品とみているけど毎週1回ずつ追うような視聴方法は取っていません。だからエヴァに興味はあれど「序」すらみてません。

で、エヴァについては簡単に言えたけど、私は基本的に流行りものが嫌いな捻くれ者なのでスタジオジブリの「ポニョ」だったり、もっといえば「もののけ」辺りからすっかり見ていません。
これについてこじつけるならば、宮崎監督のアニメはそれ以前については全て見ているから(ジブリに係わらず)見なくても分かると通ぶったことを言ってもいいはずだ。
話をエヴァに戻すと、破を見に行った人でそれ以前の庵野監督作品を全部見た人なんてそんないないだろうって。
なんで見なきゃいけないのかと言うと、見なきゃいけないじゃなくて見ていて当然という理屈がある。
視野を広くしていてエヴァにしか引っかかっていないのはおかしいとはっきり言えます。
(あと一番作家性が出るのは処女作品だとは良く言います。)

(化物語見てるならソウルテイカー見ろ。サマーウォーズ見てるならデジモン見ろ。とは身近な人に向けて言う。)

売れてるものを追っかける人たちは有名だから目にしただけで、たとえ良いものだから見ようというつもりで見に行ったところで何処が良いのかも分かりゃしないんですよ!

エヴァが今後名作として不動の地位であるだろうことは観客動員数やソフトの売り上げ数から見てもわかりけど、評価された時間というのが絶対的に足りないというのも私が見たいと思わない理由の一つになる。最新の技術を学校で学んでいるのかというとそうでもないと思っているし、最新の技術に興味が無いのでむしろ評価が確立された古典を見るべきだという持論は頑なに崩さない。

むしろ今の作品はなんでも古典の延長線上にあるのだから下手に最新のものを見て影響を受けるよりはそれらの原典からコピーを作った方が模倣品としてはソフトに受け取ってもらえるだろうと。
そういうわけで、有名作品を見るとコピー化という形で影響を受けることが怖いという理由もあって見たくない。
それが新しい作品であればあるほど他人に見つけられてしまう可能性は高まるだろう。途中で似通ってしまった箇所を見つけて、それを危険視して不自然な回避をすることもあるのだから新しいものしか見てない状態というのは怖い。たとえ類似していても元を知らなければそんな不安は生まれないし、自分のオリジナルだと言い張る。

もう一つアニメを作るならアニメを見ない方が良いという話をよく聞きます。自分なりに解釈するとアニメだけを見るなということだと思うけど、これは深く考えるまでも無く当然のことであろうと。作品をコピーにしないためには外世界から題材を持ってくるしかないのだから日本酒の醸造法や合鴨農法について学ぶのもよいでしょう。

ああやっぱり流行作なんて見ない方がいいや。

 

ところが先生の言う有名な作品を見なきゃいけない理由と言うのは、依頼主からあの作品風にして欲しいという言い方をされることがあるからなんだって。

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