ターンAガンダム37話でしょうか
頭を逆さにして「全然違う」て言うのがマイブームです(ピンポン)。
こういう文字だけで特徴のない台詞でも絵と合わさると随分印象が違うものです。
今回のはそういう趣旨とはちょっとズレてるかもしれないけど、
ターンAガンダム37話のこのシーンが好き。
「そうでしょうか」
ギンガナムから逃げるディアナから暗号を受信したウィルゲム
ブリッジ内にリリ・グエン・ヤコップ・ブルーノ・ロラン・ソシエ・メシェー・ハリー・フランが集まっている。
そこでBGMが流れていて、リリの「古典的なメロディーですこと」という台詞に対して
キエルが「そうでしょうか?」
となる。
まず、シーン頭で聞こえていたBGMがBGMじゃない宣言から始まっていて、軽いメタ構造を孕んでいるのが面白い。
流れている音楽をキャラクターも聞いているという説明台詞で、このタイプのものは富野作品にはよくある理屈で固められたもの。
このセリフをパッと出すことで、暗号を受信したやり取り、それを再生するやり取りを飛び越えさせようという理屈のはず。
このセリフを置くことが前提にあって、次の
「そうでしょうか?」
という受け答えが用意されている。ただの受け答えなので、こちらには必要性が無い。
ただし聞いた人が反応を示すことで、先の言葉が会話に成立するのだから、理屈台詞も理屈台詞のみに収まらないし、キャラクター同士の会話劇として自然に聞くことが出来るのではないか。
ちなみに「そうでしょうか」という否定からは集合体の意見の不一致と個々の価値観の存在、月に対しての心の距離の違いが表れている。・・ここから先は私も深読みしすぎだと思っていますから安心して下さい。
同じ戦艦に乗っていても味方内で考えはそれぞれ、全員が揃って同じ方向を見ることは稀。ハリーなんてのが特にそう。
それが当たり前だから否定的な意見が出てもリリは受け流す。古典的だなんだっていうのは、ただの直感的な感想で、脊髄反射みたいなもので、真っ当な意見以下だからだ。
そういう軽い意見に対して、軽い否定が入ったというリズムの会話。
それが「そうでしょうか」だ!
もしここで「それは違う!」とキエル以外の誰かが言おうものなら、反感を買って会話がそっちに流れてしまいかねない。「そうでしょうか」という、確証のない事象に対して断定を避けるやり方、というのは頭の良い人なら大抵やっていることです。
<おまけ>
ハリー「私の解読ピンでは無理なのか?」
↑ハリーの道具で解読しているという説明台詞
↑それなりに時間が経過しているという説明台詞
ロラン「宿り木っておっしゃいましたよね、大尉」
ハリー「言った」
↑言ってない
ロラン「ディアナの森の宿り木、ですか」
↑飛躍のある説明台詞
解読ピンは、これまた突飛な台詞を出して前提描写を省略させるやりかたで、これも好き。
宿り木は、ミスルトゥという単語は出したけど、日本語で宿り木とは言っていない。
それを「言った」という簡潔な一言で肯定するハリー。これもロランに二の句を継がせるための理屈で固められた富野台詞だと感じる。関係ないけどダミドの「分かる」が頭に浮かんだりもする。
劇中で日本語を使っているからおかしなことになるこのセリフ。
もし英語で、どちらもミスルトゥで通っているなら普通に通じる会話ですけどね。そこまで意識していたのかどうか。
英語版はどうなってるのか。
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