ガンダムファンから見た赤毛のアン
赤毛のアンをガンダムとの関連性で語れば、まず放送年が1979年で同じであり、どちらも富野由悠季が参加しているということ。
赤毛のアンに絵コンテで参加していたのはガンダムで忙しくなる前の序盤5話だけというが、その頃はその頃でダイターンがあったはずだ。ダイターンの監督は忙しくなかったということか。1年もののオリジナル作品を連続して作りながら、他人の作品の手伝いもする。鉄人ですか彼は。
そして、そこそこ有名なのが、ミハルの家の中身はアンの家に似ているというもの。何かのムックでも ちらっと指摘されてた気がする。普通に考えてコンテを手伝った関係なのだろう。
外観も違えば、オーブンとかポンプ式の水道のような時代的小道具もないが、比べてみると、まあ似ている。
2話限りの設定とはいえ、ミハルの家 雑っ。
両方とも最初の画像の反対側を映したもので同じ部屋。扉は外に通じている。他にもミハルが風船を飛ばした部屋は位置的にも2階にあるアンの部屋に似ていたが、比べてみると ほんとに位置関係くらいで、絵としては全然同じには見えない。ミハルが赤毛でそばかすということから逆算すれば、放送日も近かったことだし推察し易かったのだろう。
ここからは一個人的感想になるが、ガンダムファン的に気になるのがマリラのフルネームコール。これをガンダム的だと思ってしまった。中国人なら家族間でもフルネーム呼びはするらしいが、カナダではどうだろう。実の兄妹の関係でマシューカスバートと呼び、アンのこともアンシャーリーと呼ぶ。
しかし これは常にそう呼んでいる訳ではない。語気を強める時の使用が大抵で、台詞にリズムが付いて演劇っぽくなる。それにフルネームで呼ぶことで、ただの呼びかけではなく個人を指して物言いがあるということを予見させる効果がある。
20話の回想は『幻覚に踊るウッソ』を思い出させた。
アンがやってきて1年。当時のことを振り返るマリラの回想が、扉を跨いで現実と交錯するようなカット並びだったのだ。
昔を懐かしんで扉を開けると、そこには初めてマシューに連れられてやって来たアンがいてマリラが驚くシーンに繋がる。この前ぶれなしに自然に過去のカットを使っている所が、ガンダム好きにとってはVガンだったと。
この回のコンテが富野だったら完璧だったんだけど、そうではなかった。
奇しくも50話の最終回ではベッドで眠るマリラをアンが見守って出ていく構図が、ターンAガンダムの最終回そっくりに思えた。
目の病気のことや多くの苦労を抱えたマリラを安心させるために大学進学を捨ててマリラと共に暮らすことにしたアン。これって俗世を捨てて余生を共に過ごすことにしたロランに似ていませんか。ま その関係というより先に絵を見て似てるなと思ったんだけど。
年長者に対する敬い、恩義でもあり、安眠、安らかに眠っていけるであろうことの暗示のような見え方がした。
全て世は事も無しってか。
最後にダイアナの物語クラブでの発想が完全に皆殺しの富野
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