Detroitの感想
セール時に買ったまま積んでて
youtubeのゲームさんぽが好きで、そのデトロイト回を1回だけ見て
続きも見たくなったので
先に自分でクリアすることにしたという流れ
Detroit:become humanはフランスのクアンティックドリーム社による3Dアクションアドベンチャー。
2018年に発売されており2024年のいま初めてプレイした。
同社のゲームは既プレイで、ゲームシステムの感触はヘビーレインの感想で感じたものから変わってはいなかった。
要するに『自分で行動を選択できる映画』で、3人の主人公が場面ごとに切り替わっていき、その場での行動や選択肢、または時折QTEを挟んでその成否によって展開が分岐する。それでもし誰かが途中離脱しようが お構いなしにストーリーは進行するので正解というのは存在せず、プレイヤー各々のドラマが生まれるようになっている。
前作より便利になっていたのは分岐がフローチャートで確認できること。
自分はヘビーレインよりこっちの方が楽しめた。システムは同じなので理由はシナリオが好みだったかどうかに過ぎない。
グラフィックは驚くほど高度で"まるで実写のようだった。"
この文言を自分はPS1時代の頃から長きに渡って聞いてきたけど、当時から全くそうは見えなかったしPS3時代でも大袈裟な表現だと思っていた。そんな自分でも、このデトロイトに出てくるキャラクターモデルはリアルタイムレンダリングで実写と見間違えるくらいの表現技術になっていて満足できた。
で実写に近ければ何が良いのかというと、このゲームの題材が人間を模したアンドロイドだということが重要になっている。画面の中のキャラクターが現実の人間のようであることで、その世界にいるアンドロイドも見た目で人間と区別がつかないことへの説得力に繋がっていた。人間とアンドロイドの外見は同じ。では中身はどうなのかという話を受け入れる下地が成立している。
物語の舞台は20年後の近未来ということになっているが、
アンドロイドがいるということを除けば 人々の暮らしは現代とそこまで変わっていない。
ということで作品の傾向としてゴリゴリのSF作品にはなっていなかった。
初めに そういうのを期待していた部分もあったので残念ではあった。
ただしアンドロイドの存在だけは現代では考えられないくらい突飛な技術が使われていて、
その技術力は重機というよりも人間の再現に特化している。
機能としては優秀なように見えて意外に脆く、作中では機械としての優位性を活かすシーンが目立たなかったように思う。
例えば頭でも腹でも銃弾を一発受けただけで機能停止してしまう。首が180度回ったりもしないし、たかがメインカメラをやられただけだとは言わない。
未だに疑問に思っているのは、アンドロイドは自身の死を恐れるのだが、コナーは破壊されてもメモリーを新しい身体に移植して復活している。これくらいの機能はどのアンドロイドにもありそうなものだが、ジェリコや別の場所でも燃料不足によりシャットダウンしていくアンドロイド達のメモリーを保管せずに二度と生き返らない死体扱いをしているのは気になった。登場キャラクターの生死はドラマとしての盛り上がりに欠かせない部分なので作者の都合としか受け取れない。コナーのパートで扱っているのは正に命の重さの話なので整合性を取るために葛藤があったんじゃないかと邪推せざるを得ない。
この作品が特に機械ゆえの優位性を描いていないのは、この作品のテーマが人種差別にあるからというのは間違いないだろう。
優れているどころか人間に顎で使われる奴隷であることはゲーム序盤で特に丁寧に描写される。かつての黒人のようにバスや電車で隔離されたブロックにしか乗れなかったり、飲食店の扉にはアンドロイドお断りの注意書きが貼ってあったりする。
ゲームタイトルになっている「デトロイト」というのもアメリカのデトロイト市のことで、調べると黒人差別にはゆかりのある都市だった。
そんな世界でもマーカスは例外的に所有者から息子くらいの待遇で大事にされたアンドロイドで、実際にリアルなアンドロイドがいたら物として扱うには抵抗があるどころか家族として感情移入するだろうなと私は思うけどそうではなかった。
劇中ではアンドロイドに敵意を持っている人間が9割以上で、嫌われる原因はアンドロイドが人間に取って代わることによる失業とされていた。
幸せなアンドロイドもいただろうと想像するけど、その辺を掘り下げると主題がブレてしまうのでカメラに映らなかったんだろうな。
当初は主人公が4人いたらしいけど、それで削られたプロットもありそうだ。
ずっとアンドロイド視点だから非難が目立つけど人間側のプレイヤーキャラがいれば今よりバランスが取れたような気がする。
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